ある星の女の子の物語
二十歳だった1999年に妹が描いた絵本。



ずっとずっと遠い宇宙に、地球人には知られていない、地球にそっくりな星がありました。




そこには、地球人と変わりない人々が楽しそうに暮らしています。
しかし、ただ一つ、大きく違うものがありました。




その星の子どもには、頭に花がはえるのです。




子どもは皆、自分の花を愛情込めて育てます。




きれいに花を咲かせたとき。
花が種に変わって、その種がその子の心を豊かにします。
種は心の栄養になるのです。




そんな星のある国に、一人の女の子がいました。
その子の肩には、いつもハトがとまっていたので、
皆はその子を『ポッポちゃん』と呼びました。




ポッポちゃんは、仲よしの、ニワトリのとまるコッコちゃんと、
毎日お花にお水をやって、花咲くときを待ちました。




あるとき、ポッポちゃんは気づきました。
コッコちゃんのお花の成長が早いことを。
コッコちゃんのお花の色が華やかなことを。




ポッポちゃんは、すっかり自分の花が嫌になりました。
楽しみだった花の成長も大好きだったハトさえも、腹立たしくていじわるしました。




ポッポちゃんのお花もハトも悲しくなって泣いて日々を送りました。




少し経ったある日のこと、ポッポちゃんは知りました。
コッコちゃんも、ポッポちゃんの淡い、可憐な花の色がうらやましくて、
自分の花やニワトリにいじわるしていたということを。




それ以来、ポッポちゃんとコッコちゃんは、前よりずっと仲良くなって、
一緒に花を育てました。
大切に愛情込めて育てました。





2人のお花がきれいに咲いて、
ポッポちゃんには、ポッポちゃんの淡い可憐なお花が。
コッコちゃんには、コッコちゃんの華やかな大きなお花が。
それぞれに、一番よく似合うことがわかったとき・・・。




2人のお花が種に変わって、キラキラ心に落ちました。




二人はとっても素敵な女性になって、皆に「大人」と呼ばれるようになりました。




「大人」とは、自分の花を自分らしく、精一杯咲かせた人を呼ぶ名称なのです。




今日も宇宙のある星では、子どもたちが、自分の花を咲かせるために毎日お花を育てています。




だってそのお花は、その人にしか咲かせられない、その人に一番似合う花だから・・・。






今とは時代の違う1999年頃描かれた絵本とはいえ、テーマがとても普遍的。
いつの時代でも、どの年代でも、心に染みるのではないかと思います。
少なくとも私にとっては原点的な絵本(世に出ていないけど!)です。
妹の感性をリスペクトしつつ、今日誕生日を迎えた妹に「お誕生日おめでとう」。
| 過去のこと | comments(2) |

授業。
2000年の日記より

授業内容はとても幅広かった。
建築基礎知識から、デザイン、色彩、CADなど多岐に渡ったカリキュラムだった。すべて始めて知ることばかりでとても新鮮で、学ぶことは楽しいと知った。飾られていた先輩方の作品を見て感激し、自分がほんとにこんなことができるようになるのかなーって思っていた。でも、一つづつ与えられた課題をこなしていくうちに自分でも気づかない間に、先輩方の作品のようなものができるようになっていた。なんでもそうかもしれないけれど、最初からレベルの違うものを目指そうと思っても無理だけど、一つづつ、ほんとに階段を一段一段上るように目の前のできることからやっていくといつの間にか、自分で思っていた以上のことができるようになるのかもしれない。もちろん、目標は高く持っていていいと思うけれども、高い目標ばかりを見ていると目の前のことでやるべきことが見えなくなってしまうことがあるから。目標は目標として持ちつつ、今やるべき目の前のことを把握して実行する。結局は目標へ進む方法はコレしかない気がする。

以前の私は始める前にコレは私には苦手!と勝手に決めてあきらめてしまうようなところがあったのだけれど、授業は手を抜かないって決めたから、苦手と思ってあきらめてしまっていたような分野(たとえばイメージパースと言って出来上がりイメージを絵で表現するようなもの。)も苦手なりに精一杯表現した。元々絵が得意で上手な人のように緻密で正確なものは描けなくても、下手なりに雰囲気を出すというか、苦手なりに好きな雰囲気に仕上がるように表現した。あきらめなければ、自分らしい作品に仕上げることができること。そして、そうして仕上げた作品はやっぱりとても愛着があることがわかった。上手か下手かというものさしで見ると、あるいは先生方からの評価は、わからないけれど、自分では一つ一つ自分の中で納得したものに仕上げてきたつもり。そうやって、一つ一つ階段を上っていったら、自分でも不思議なくらいに思っていた以上のことができるようになっていたような気がする。

中学や高校で新入生が部活に入り、やったことのないスポーツを始めて、球拾いからスタートしてあっという間に先輩達のように様になっていくように、学校というところは、何を学ぶかはもちろん自分で選択するのだけれど、スタートしてしまえば、その道のプロが考えるカリキュラムを一つ一つこなしていくだけで確実に一歩一歩階段を上っていける。同じことを独学で習得しようと思った場合は、周り道もたくさんしないといけないだろうから、たぶんその何倍も時間と労力がかかったと思う。そう思うと社会人になる前の学生時代は本当にもったいないことをしてしまった。その時代の反省が今に生きているのだから、それはそれでいいのかもしれないけれど。。。
| 過去のこと | comments(0) |

「精一杯」から見えてきたもの。
2000年の日記より

体力的にも精神的にも、いっぱいいっぱいだった。
それでも、自分で決めたことだから弱音を吐くわけにもいかず、手を抜くわけにもいかなかった。今まで、体力的にも精神的にも、すべてに対して無理をしない程度の物事への取り組み方だった。自分の限界がどこかはわからないけれど、「精一杯」って言葉には縁遠かったような気がする。でも、この時はその時の私の「精一杯」の状態だった。
自分で「精一杯やった」から結果はどうなってもしょうがないと思えることを今までは経験したことがなかったような気がする。「精一杯」ということを知って、その瞬間は苦しかったりするけれど、そうすることが結果、自分にとっても気持ちの良いことだとも知った。
今から思うと、この時自分の「精一杯」を経験したから、その後の自分がすごく楽になった。多少睡眠不足でもあの時に比べたら全然へっちゃら!って感じで。「精一杯」を経験して、体力的にも精神的にも一回り強くなれたのかもしれない。

「精一杯」の状態だったけれど、反対していた彼に対しては弱音を吐くどころか、結果を出さなければと強く思っていた。彼の反対する理由は理にかなっていたし、反論の余地もなかった。それでも、自分の意思を貫いた。正直言って、この学生時代が彼との関係の一番最悪な時代かも。それでもお互い別れようとはしなかったのはやっぱり縁があったのかな〜。(結局、再就職1年後私達は結婚したのだから。)彼に言われた「何を学んでどう生かすのか?」ということに対して、きちんと結果を出さなければいけないと常に意識していた。それはすなわち、今後自分がどういう人生を送っていきたいか?その為にはどういう仕事が向いているか?ということでもあった。その答えを見つける為にも私は授業も課題も手を抜かなかった。

基本的に私は直感で行動して、その後のことは、その時その時で感じるままに進んでいけばいいと考える性質だけれども、彼のおかげで、自分に対する大きな「問い」を意識するようになった。そして、決めたことに対して結果を出すということが、自分が決めたことに対して責任を取るということなのだと知った。
私はこの学生時代、ほんとの意味で真摯に自分と向き合う時間を過ごしたと思う。彼との関係も含めて自分が将来どうしたいかを考えて、自分はキャリアウーマンを目指しているわけではないこと。将来結婚して築く家庭を第一優先にしたいこと。学んだことを何かの形で生かしたいということ。イヤイヤではなく、自分が働きたいと思える内容の仕事をすること。が重要だと見えてきた。
| 過去のこと | comments(0) |

学生になる。
2000年の日記より

自分の意志でもう一度学生になった。よく考えるとほんとの学生時代は自分の興味のあることもわからなかった。何を学びたいかもきちんと考えなかった。実際、「何を学んだ」ということをきちんと説明できない。その程度の学生時代だったのだ。両親が学費を出してくれる時代には、やりたいものが見えていなかった・・・。自分の意思で学生になるということは、時間的にも経済的にも自分で調整しなくてはならず、思っていた以上にしんどかった。頭でわかっているつもりだったことが実際に経験してみて初めて実感できるというか・・・。私の性質上の問題か、私は往々にして、考えが甘い(自分に甘い?)ところがある。それを実感せざるを得なかった。

経済的には、短いOL時代に貯めた多少の貯金があったが、将来の結婚資金の為に、できるだけ必要最小限の支出に抑えたかった。それがキツかった。学生ってほんと貧乏だなー。OL時代は退屈だとかなんとか文句を言いながらも、毎月ある程度まとまった金額が決まって振り込まれる。それを当然のように思っていたんだから、恐ろしい。ほんとに人ってなくならないと気づかないのかなー。たいした仕事をしていたわけでもないのに、お給料が少ないとか不平不満を言って、なんと贅沢なことか。何事も不満の塊になってきたら、一度その状況から離れて、客観的に冷静に見つめなおすと、同じ状況が感謝して見られるようになるかもしれないな。私の場合は意図的にではなく、偶然その状況になったけれど、結果的にはお金を稼ぐということの大変さ、お金をいただける立場になるということのありがたさを身にしみることとなった。

時間的には、今までの人生で一番忙しい時期を過ごしたと思う。体力的にもキツかった。自分で学びたくて学んでいることだから、授業も課題も手を抜くわけにはいかない。元来ノロマな私は人よりやることが遅い。その上、妥協して課題を提出した作品はない(つもり)。プラス、経済的な理由から、平日の6時から9時まで歯科助手のバイトを始めた。だから、睡眠8時間以上だった私の睡眠時間は平均5、6時間という過酷な日々になった。月曜日から金曜日の9時から夕方4時半までみっちりあった授業に通学時間が往復3時間弱。バイトを終えて家に帰り、食事と風呂を済ませると、午後11時は過ぎてしまう。それから、課題にとりかかるという超ハードスケジュール。土曜日は隔週で花屋さんに通わせてもらっていた。残りの土日はヘトヘトだったけど、彼と会っていた。ニキビ体質ではなかったのに(年齢的には吹き出物?)睡眠不足からか、ニキビ顔になり、いつも疲れていた。
| 過去のこと | comments(0) |

贅沢な時間。
2000年の日記より

花屋さんでのお手伝い以外の時間は自分の趣味の為に時間を使った。長く楽しめるお花ということで、生花をドライにし、ドライフラワーでリースを作った。天気のいい日は実ものやつるを取りに出掛けた。6畳の自分の部屋がいつの間にかジャングルのようになってしまった・・・。家の車庫周りから玄関へ上がる階段にガーデニングした寄せ植えを並べた。好きなことだけをして過ごす贅沢な時間。ほんとに楽しくて、幸せな時間だった。

リース作りは生花とは違った楽しみになった。(部屋はジャングルになるし、作業後は恐ろしく部屋が汚れるけれども・・・。)リースはまったくの独学だったけれど、なんでもリースの材料にできるし、とても自分らしい作品を作れて楽しかった。何しろ、お金をかけずに自分の感性だけで、楽しめるのだもの!!紅葉した葉っぱのリースや実もののリース。季節の移り変わりや自然に対して心がとまるようになり、今まで見過ごしていた自然の恵みのありがたさや自然の偉大さを感じさせてくれた。このリース作りは自然の恵みがいっぱいで、私らしいお花との付き合い方だなーって感じた。

のんびりと楽しく日々を過ごし、いつのまにか数ヶ月が過ぎ、いよいよ再び学生になる日がやって来る。ワクワクしながら、新しい文房具を揃え、楽しく明るい未来を空想したりした。未来は希望に満ちている気がした。夢に向かって気持ちや現実が動いていくときって、こんなに心が満たされて、幸せな気持ちになれるのだなー。って感じた。子供の頃、遠足の前日、うれしくて眠れなかったみたいに、始まる前の楽しみや喜びに満ちていたような気がする。

この、会社を辞めてもう一度学生になるということに関しては、賛成、反対それぞれだった。一番身近な存在の家族と彼。家族は賛成!応援してくれ、一番の理解者になってくれた。彼は反対!今さら学校に行くことが何になるんだという考えだった。結果的には、この身近な賛成者と反対者の両方がその時の私には必要不可欠だったのだ。
自分で考えて、決めて、行動する。ということにもう一つ、それに対して責任を持つ。ということの必要性にその時の私はまだ気づいていなかった。この身近な反対者の存在が、結果的にはその「責任を持つ」ということを気づかせるにいたるのだ。
| 過去のこと | comments(0) |

贅沢な時間。
2000年の日記より

私は、自分がレッスンに通っている花屋さんに、4月から学校に行くという事情を話し、それまでの間、どんなことでもいいからお手伝いをさせてほしいとお願いした。しばらくして、週に2回半日ずつ、お手伝いに行かせてもらえることになった。ほんとに、心底うれしかった。自分で考えて、決めて、行動したことが、自分の希望する現実になっていく。とても幸せだった。

花屋さんでのお手伝いはとにかくうれしかった。その、花に囲まれた空間に自分がいられるということが幸せだった。ただそれだけで幸せだった。花には絶対パワーがあると思う。心が癒されたり、元気になったり。目にも美しいけれど、香りもまた心地良い。お花屋さんの中の限られた空間に色々なお花の香りが混ざり合ってなんとも言えない甘く優しい香り。自分がとても優しい気持ちになっていく気がした。たったの半日お手伝いをさせてもらうだけでも、とても充実した気持ちになれた。お花屋さんの帰り道、空が青いことや、風が気持ちいいことで、また幸せを感じられた。私は「幸せだな〜。」って感じられることがとても多くなった気がする。以前に比べて、「幸せ」に関して心が敏感になった気がする。

もちろん、周りが言っていた通り、お花屋さんの仕事はとても大変そうだった。私がお手伝いできることは、あまりにも微々たることだったけれど、寒い季節のお花のお水替えはほんとうに冷たいし、切花はバケツとかではなくその花に合う花器に入れてあったので、当然細心の注意が必要だった。背の高い花は大きなガラスの花器に入っていたりして、とても重かった。週に2回半日ずつでも、手が荒れた。華道のお稽古に行ったとき、先生に「kayoちゃん、手が大きくなったみたいね。」って言われた。手がごっつくなっていたのだ。お客様に素敵なアレンジや花束を作るという仕事は花屋さんの仕事のほんのほんの一部だということが、身にしみてわかった。(もちろん、まだまだ私にはお客様の接客ができる知識や技術はなかったけれど。)それでも、まったく苦にはならなかった。私が元々習得したいと思っていたお花の知識、お花の扱い方、水揚げの仕方、ラッピングの仕方等、見て覚えることができた。お店がクリスマスの準備やお正月の準備で忙しいときは、もう少し頻繁に手伝わせてもらえた。身近で、素敵なクリスマスのアレンジやリース作りを見ることができて、とても勉強になった。お客として通っているレッスンとは違う様々なことを学ぶことができたと思う。それでも、クリスマス当日の夜、お客様のお店のクリスマス用のディスプレイをお正月用のディスプレイに変更するお手伝いをした時はさすがに、世間の人達はクリスマスを家族やカップルで楽しんでいるんだろうなー。って思って、閉店後の作業が身にしみた。小さい頃は家族でクリスマスケーキを食べた。大人になってからは、彼と花火を見に行った。そういうことの幸せの意味がわかって、周りが言っていたことの意味がちょっとわかったような気がした。
| 過去のこと | comments(0) |

花とインテリアと。
2000年の日記より

「インテリア」。とても興味が湧いてきた。
私は思った。インテリアのschooに通いながら、アルバイトをさせてもらえる花屋さんを探してはどうかな。自分が求めている花の知識の習得は、花のschoolではなく、花屋さんの中で得られるもののような気がした。花屋さんはきっと大変な仕事なんだろうけれど、周りに言われただけではあきらめきれない。ほんとうに自分が花屋さんの仕事を経験してみてから納得したい。それでも、花屋さんで働きたいという気持ちがあれば、きっとインテリアを学んだことが何かの形で生かしていけるはず。インテリアを学んでいる間に花よりインテリアの比重が高くなったら、それはそれでいいじゃない。とにかく、始めてみよう。
そして私は、インテリアの専門学校の受験を決めた。

24歳の秋、私は受験準備の為、3年半勤めた会社を卒業した。社会人4年目、自分の中のケジメとして、「イヤだから辞める。」ではなく、気持ちの上で「卒業」としたかったので、最後に、業務に関わる小さな資格を受験し、取得した。
「卒業」。
そして、適正検査、基礎学力などの試験の準備をし、受験し、合格した。来春からの「学生」という身分を獲得し、4月までの数ヶ月間、もしかして人生で一番贅沢な時間を過ごしたのかもしれない。期間限定の自由な時間。何にどう時間を使おうが、自分しだい。
たぶん、これが期間限定ではなく、いつまで続くかわからない自由な時間ならば、それはそれで、プレッシャーを感じたり、時間を持て余したり、悩んだりしたと思う。
それに、私が彼と会う以外に週末の時間の過ごし方がなかった頃、コレと言った趣味もなかった頃だったら、たった1日の自由な時間さえも、時間を持て余していたかもしれない。そして、無駄に空想して起きてもいないことを心配したり、悩んだりしていたかもしれない。
その時は、やりたいことの方向性が見えてきて、夢に向かっていたときに得た期間限定の自由時間っだったから、贅沢な時間と感じることができたのかもしれない。
「人」は限られた時間ならば、その貴重な時間の使い方を真摯に考え、精一杯過ごすことができる可能性が高くなるけれど、ぜいたくな生き物だから、何事も「ずっと続く」とそれはいつか不満に変わる可能性も高くなるのかもしれないな。
| 過去のこと | comments(0) |

好きなこと。
2000年の日記より

お花のレッスンは予想通りすごく楽しかった。自分が楽しいって思って、時間を忘れることができることに出会うってこんなに幸せなことなんだー!って実感した。レッスンは月に2回、隔週だったのだけれど、何日かして、傷んでくるお花が出てくると、アレンジを分解して水切りし直し、お花の長さや雰囲気に合わせて、花器、グラス、食器などいろんなものに生けて、お花を飾った。お花は毎日お水を替えてあげないと、傷みが早いから、仕事から帰って、お水を替えてあげ、傷んだ花を選別して、再び生け直してって、結局毎日のようにお花を触っていた。以前までは、仕事から戻って食事を済ませると、新聞を読んだり、テレビを見たり、なんとなく時間を過ごしていた。それが、時間も忘れてお花を触るようになったのだ。好きなものに出会うってこういうことなのかもしれないな・・・。私はお花がすごく好きなんだ!って気づいてからは、興味を持って色々なものを見れるようになった気がする。今まで、なんとなく見過ごしていたものや景色が心にとまるようになった。例えばショッピングに出かけたとしても、お花が飾ってあったらもちろんのこと、お店のディスプレイや雰囲気を心で感じるようになった。少しずつ自分のものさしが見えてきて、お花はお花でも自分の好みがあることに気づいた。

ほんとに不思議なんだけれど、好きなことに気づいてからは、体の中からエネルギーが満ちてきて、何かしたいっていう欲求にかられ始めた。お花を触る日々はとても幸せだけれども、それだけでは物足りない気がして、もっと何かしたいっていう欲が出始めてきた。頭の中が単細胞な私は「お花が好き!⇒お花屋さんで働きたい!」と単純に思い込み、家族や彼に相談したが、「お花屋さんで働くっていうことは見かけのきれいさと違って、とても大変な仕事なんだよ。」と諭されてしまった。それはそうだろう。でも、今何か動き出さないと後悔しそうな気がした。でも、周りの反対を無視して、即行動に移すこともできなかった。でも、あきらめようとも思わなかった。自分でもう一度考えてみた。「ほんとにそうしたいのか。」「ただ会社を辞めたいだけではないのか。」正直、会社を辞めたいっていう気持ちはずっとあった。でも「イヤだから、辞める。」というわけにもいかないし、「石の上にも三年。」って言葉もあるし、最低でも3年は頑張らなきゃって気持ちがずっとあった。「お花が好き!」って気づいてからは、仕事に関しても積極的に取り組めるようになってきて、前より仕事が面白くなってきていた。社会人になって、丸3年が過ぎ、4年目に入っていた。それでも、今動かなきゃっ!て感じた。年齢的にも24歳になり、将来的には結婚して幸せな家庭を築きたいっていう気持ちもあった。いろいろなことを考えたけれど、やっぱり”今”かな。って感じた。なんとか周りがある程度納得しつつ、自分のやりたいことができる方法はないかと考えた。もう一度、「自分がやりたいこと。」を考えてみた。お花の知識を習得したいという気持ちがやっぱりあった。電話帳とかで、schoolを調べ、問い合わせをしてみた。話を聞いたり、本を読んだりして、自分なりに調べてみた。その結果感じたことは、私は決められた形にお花をアレンジする技術を身につけたいのではない。私が好きなのはお花そのものであって、形式ではないんだなーって。そしたら、お花という分野に固執することはないのかもしれないなって思った。schoolを調べているときに「インテリア」って分野があることに気づいた。「インテリア」と一言で言っても、とても幅の広い分野であるだろうけれど、お花を生けて飾ることに通じるような気がして、私の中で「インテリア」という分野が急浮上してきた。
| 過去のこと | comments(0) |

進歩×2。実行×2。
2000年の日記より

「私は何が好きか?」
「私はどうしたいか?」
この2つを何かにつけて考え始めて、少しずつ見えてきた。本当に「人」って意識していないとただ過ぎてしまうのだなーって思う。意識しなくてもそれまでの私のように日々は確実に過ぎていく。その時まで何も意識せずに来たことを必ずしもダメだとは私は思っていない。その時代の私があったからこそ、今の私があるのだから。無駄だと思えることも一つも無駄ではなかったんだ!って今なら思える。でも、その当時は「なんでもっと早くに自分と向き合わなかったんだろう。」って。気持ちばかりが焦ってしまった。自分の好きなことが見えてきたのに、「今から始めるのは遅過ぎる。」ってなぜか決めてかかってた。やろうと思った時が「始めどき」。始めようと思った時が遅いなんてことは絶対にありえない。今なら心からそう思える。(その当時より今は年取ってるのにねー。)

「私は何が好きか?」って考えていた時に、短大時代から母の友達に華道を習いに行っていて、それが楽しかったことに気づいた。「kayoちゃんはセンスがいいね。」って、先生が誉めてくださったことがすごくうれしかった。だから、華道とは別にフラワーアレンジをやってみたいって思った。「どうせやるなら、資格が取れた方がいいかな。」とか「どれくらいの期間で資格が取れるのかな。」とか「費用はいくらくらいかかるのかな。」とか、始める前に考え過ぎてしまって、「実行」に移せない状況に自分を追い込んでしまっていた。

そう。そんな時に、妹からメッセージを受け取った。
悩んでいても始まらない。まずは「実行」。背中を押された私はほんとに嘘じゃなく、心の中で「進歩×2。実行×2。」ってつぶやきながら、お花の教室を探し始めた。気持ちが楽になった私は、最初から資格がどうのとか考えるのはやめて、「とりあえず、始めてみよう!」。無理なくレッスンに通える場所で素敵だなって思える花屋さんで教室をやってるお店を探そう。そう思って、通勤の通り道にある素敵な花屋さんに寄ってみた。教室も開いてるとの返事で、早速通うことにした。ただこれだけのことなのに、自分で考えて、決めて、行動したってことがなんか心地良かった。ほんのちょっとの行動力なのに、自分がイメージしていた素敵な花屋さんでのレッスンを現実のものにできたことがすごくうれしかった。ただこれだけのことだけれど、もんもんとしていた毎日が開けてきたように感じた。
| 過去のこと | comments(0) |

早く未来になってほしかった・・・。
2000年の日記より

そう言えば、「今が一番幸せ・・・」って「今」を感じられるようになったのって、「私らしさ」が見えてきてからかもしれない。それまでの私って、今思うといつも「早く○○にならないかなー」って思ってた気がする。この○○に入るのは高校時代なら大学生。短大時代なら社会人。社会人なら結婚生活。いつも早く未来になってほしいって思ってた。なんとなく、未来になれば何かが変わるって思ってた。ほんとは待ってるだけでは時間が経過するだけで、何も変わらないのにね。「今」の結果が「未来」なのだから、今できることをしていないのに未来に期待したってただの現実逃避だよねー。たぶん、いろんなことをなんとなくやっていて、自分で考えて、決めて、行動するっていう基本的なことができていなかった。だから、「どっちがいい?」って聞かれても、「どっちでも。」って本気で思ってた。自分の「ものさし」が曖昧で何が好きで何が嫌いかってことさえもわからなかった。
でも、「私らしさ」が見えていないことにさえ気づいていなくて、漠然とした現実への不満を感じていただけで、いつも他力本願で、何をどうしていいのかもわからなかった。私はきちんと自分と向き合わないまま社会人になってしまっていた。学生時代は早く未来になってほしいって思っていても、普通に学校に通っていれば、数年後には次の待っていた未来がやって来た。(その未来が現実になっても何も変わらなかったんだけど・・・)それが社会人になると、次の未来がいつ来るのかわからないという初めての体験をすることになってしまった。いつも待ってた未来の予測もつかず、とにかく途方にくれてしまった。

すでに社会に出て3年目に入っていた。仕事には慣れたけれど、やりがいを感じることもできず、ただ週末がやって来るのを指折り数えて過ごす毎日。短大時代から付き合っていた彼と会う以外、時間の過ごし方がなかった。体力的にも精神的にも自分を持て余し始めていた。やっと、「私は何が好きか?」「私はどうしたいか?」ってことを考え始めた。でも、「行動する」ことに対して、いつのまにか臆病になっていて、ゴチャゴチャ考えるだけで、なぜか身動きが取れなかった。そんなもんもんと過ごす毎日を送っていた時、アメリカ留学中の妹から家族宛の手紙が送られてきた。(6歳年下の当時高校2年生だった妹は誰に薦められたわけでもなく、自分の意志で交換留学について調べ、準備し、親を説得し、1年間のアメリカ留学を実行していた。妹は我が家の人間に珍しく「意志」と「行動力」を持っている。妹によると年の離れた姉達の半面教師でそういう人格になったらしい。「私達の失敗がsayaちゃんの中で生きているよねー。」って今では我が家の笑い話になっているけれど・・・)その中にschool album用に撮影された3センチ角程度の妹の顔写真が入っていて、その裏に「かよへ。進歩×2。 実行×2。」って書いてあった。私はすごく衝撃を覚えて、気持ちが楽になっていくのを感じた。(私はそのメッセージ入りの写真を今でも大切に保管してる。私の背中を押してくれたその写真は宝物。でも、それを送った当の妹は覚えていないらしい・・・。)

送った妹は私のもんもんとした毎日を全く知らない。どういう意図で書いたのか本人さえも覚えていないのだけれど、私にとっては「目が覚める」メッセージになった。今思うと、ちょうど背中を押してもらうきっかけがほしかった時期なのかもしれない。だから、その時よりも前にそのメッセージをもらっていても何も感じることができなかったかもしれない。もしかしたら、その時期だったら、妹以外のメッセージでも「目が覚める」ことができたのかもしれない。ただ、私にとってはその時、そのタイミングでそのメッセージをもらったことが本当に「実行」のきっかけになった。
| 過去のこと | comments(0) |










New Entries
Category
Archives
Recent Comments